担降りエントリの次に担降りエントリを重ねるアクロバティックガール☆なちこです。
5月に入って、私にとって初めてのJUMPの現場が始まりました。
私は2月のスパデリ発売でJUMPに興味を持ち、知念様にハマりました。
ずぶずぶと好きになっていって、今まで好きだったエイトでも、セクゾンでも当てはまらない現象がジャンプでは起こりました。
私は基本的に好きな人一直線で、ユニットはその好きな人に付随するおまけという、自担至上主義なのですが、
ジャンプにはそれが当てはまりませんでした。
全員大好きで、みんなキラキラしてて。
グループを愛したいと思えたのは初めてでした。
(エイトの場合、長く時間をかけて「大倉くんのいるおうちだから大好き」という可愛げのない愛し方でした。大倉くんありきでそこから動かない)

勝利に降りたとき、正直に言ってたくさんの打算が働いていました。
これから勝利が与えてくれる未来は輝くものに違いなくて、きっと幸せにしてくれる。
もう傷ついて悲しんで応援なんかできない。幸せだけを選んでおなかを満たしたいと思っていました。
前の勝利に担降りしましたエントリを読んでわかる通り、一言も「セクゾンを応援していく」とはいってません。
本当は、ここでもう答えが出ていたんだと思います。
セクゾンよりJUMPが好きだと気付いているのに、JUMPに担当に出来る人がいなかった。
だから、大好きで、眩い未来を与えてくれる勝利なら、幸せにしてくれると思った。
勝利担ですと名乗ったとき、私はとても泣きました。
大倉くんに別れを告げることについて、晴れ晴れとした悲しみがありました。
勝利担って思ったら、肩の荷が降りた気がしました。
私にとって担当とはジャニヲタ最大のアイデンティティで、重きを置くところ。
担当が誰かわからない人とはお友達になれないし、仲良くなると「ああ、○○さんにこのけんとくん見せてあげたい…」とか思うタイプなので、宙ぶらりんの状態がとても嫌でした。
私は早く、自分の肩書きが欲しかったんだと思います。

おまえあんだけ知念様知念様って言ってて、なんで知念様に降りないの?と、普段のツイートを見ている人は思うかもしれません。
確かにその通りなんですが、私の思う「担当」の条件に知念様は当てはまりませんでした。
私の思う担当は、「指も声も視線の先も気になって目が離せない人」です。
私は映像や雑誌で知念様を見ているとき、とても静かです。
ギャースカ騒いだりしません。
友達と一緒にJUMPを見ていても、「知念様ぁあああ」と叫んだり興奮することもありません。
私の中の知念様は教祖様です。
あの微笑みで私を赦して、愛を与えてくれる人。
知念様を思うと胸がふわっとあったかくなります。
担当が「見ていたい人」なら知念様は「考えていたい人」です。
今回のJUMPコン、私は知念様のうちわを持っていきました。
でも、知念様から目が離せないわけじゃないんです。
そこにいる知念様は、かわらず素敵で、胸があったかくて、どこまでも「予想通り」でした。
愛らしさも姿勢も目線も、思っていた通り。
生で見ていても、同じ空間にいても興奮しないんです。
コンサート会場では平気なのに、独りになって知念様を思うと思考の海でおぼれてしまいます。
私はその一つ一つを解して吐きだすことで知念様への愛を表しています。
だから、知念様への愛を表すのに、うちわを持たなくていいんです。
知念様について言及することが私の愛の形です。

知念様は担当におけない。けれどJUMPが大好きという気持ちはやっと今回のコンサートで処理できました。
今回初めてJUMPのコンサートを見て、私が目を離せなくなったのは高木雄也でした。
元々普段から雄也と大ちゃんについては言及も多くて、JUMPの中でも2番目を争うぐらいスキでした。
蓋を開けてみたら視線が自然に知念様を離れて雄也にいきました。
担当ロックオン型の私にはすごいことです。
吸い寄せられるってこういうことなんだな、と思いました。
3日、4日、5日と回を重ねるごとに、雄也のことが好きでたまらなくなりました。
そして、ずっと勝利を据えてから覚えていた「違和感」が、雄也を視線で追うことでカチリと組み合う音がしました。
好きで好きで、かっこよくてかわいくって涙が出そうになる、これが担当なんじゃないの?
胸が痛くて切なくて、「好き!」と叫んでも足りないような、これが担当なんじゃないの?
勝利のことは大好きだけど、これは担当なのか…?という疑問がずっとついて回っていました。
私の思う担当ってこうじゃない、もっともっと胸がざわついて心が苦しくなって、泣きたくなる人が担当に据える人のはずだった。
3日にセクゾンがきたとき、勝利に全然興奮しなかったんです。
もちろん勝利はいつもみたいにかわいくてかっこよくて、会場で踊るレディダイも楽しかった。
だけど、胸の高揚感はどこにもありませんでした。ドキドキしない。すぐそこに「いる」のに。
このことは私に少なからずショックを与えました。
なんで勝利にドキドキしないんだろう、私どうしたんだろう。そう思って気付きました。
最初から、勝利にドキドキしたことはなかったんです(握手会はさすがにしました)
ただ、純粋に「好き」なだけ。
大倉くんを見つめていたときの、胸が焦がれるようなちりちりっとした痛みは、雄也がくれました。
涙が出て、声が出て、笑顔になるのは雄也だけ。
気付いたら、もう止められなくて、回を増すごとに雄也を見る時間が増えて、もうダメだと思って腹を括りました。

よく見たら、雄也は大倉くんに似ていました。
雄也と大倉くんが似ているのではなくて、雄也が私にもたらすものが大倉くんに似ていました。
ずっとスキだった大倉くんを見ていた時みたいな胸の高揚とか、あのへにゃんとした笑い方とか、狙いを定めたときの強いまなざしとか。
ぽてんとした重たいおしりとか、顔が小さくて脚が長くてぽちゃっとしているとことか。
大倉くんと似てるから好きなんじゃないけど、私が惹かれるタイプがあるなら、大倉くんと雄也は同じカテゴリなんだと思います。

私の思う担当に勝利は「まだ」当てはまってませんでした。
きっと勝利がもっと大人になったら私の思う「担当」になるんだろうと思う。
セクゾンは変わらず追い続ける。
あの子たちの紡ぐ未来はずっと見ていく。
でも肩書きを降ろしたいと思えた。

そんなわけで、5/5。私は高木雄也くんの担当になりました。

担当はファッションじゃない。
担当はアイデンティティ
だからすぐ担降りする人は嫌い。簡単に担当を決める人は嫌い。だからこの状況は嫌だった。
でも、一番スキでスキでスキすぎる人に正直になるのが一番いい。
勝利に対して、これからを捧げる覚悟が足りなすぎた。
ここまでくるのになんだか遠回りした気がします。
勝利担と名乗ったのはたった一月だったけど、勝利担になったことで大切なことに気付けました。

勝利とは数年後、またきっと惹きあうと思います。
成長過程よりもう出来上がっているものを愛でるのが好きなので。

私は痛みも苦しみも、愛も喜びも全部与えてくれる雄也に降りることにします。
痛みから逃れて、楽をしようと思って勝利に降りたけどそんなんじゃだめですね!
ジャニヲタは痛めて痛めて、痛めつけても起き上がって戦って幸せになる生き物です!