大倉忠義とはなにか

とりあえず大倉忠義について自分の見解を語っておこうと思います。
流動的なものであれど、そろそろ固まってきました。

大倉くんと一方的に出会ったのはたしか、Kyo to kyoの頃の名鑑です。
ちっちゃくて出っ歯でビーバーみたいな彼の第一印象は「戦国武将みたいな名前」でした。
当時の私の担当は二宮和也で、私の原点です。
私が低身長な人に恋しやすいのも、
犬が好きなのも、
まるいお手々や猫背が好きなのも、
全部二宮和也のせいです。

朝起きて夜眠るまでずっと二宮和也のことを考えていたのに、
今思い出そうとするとなにも出てきません。
だけど、恋をしたり歩き方や動作や喋り方に至る全てに二宮和也がちりばめられています。

正直、二宮担だったころに彼を理解しようと思ったことはありません。
彼は難儀な人だと思います。
演技論もアイドル論も生き様も全部難解です。
その一筋縄ではいかないところはヲタクの心をくすぐると思いますが、
私は二宮和也を息子のように思って見ていたので、
二宮和也が何を言おうと、だれと恋しようと、なんでもよかったです。
ただ、二宮和也がそのビジュアルで、声で、キャラクターであってくれればいいと思っていました。
でも自作の歌は愛せませんでしたごめんなさい。

昔、彼はHigh&Lowというソロ曲を歌いました。
音源化も映像化もされていない曲です。
確か夏コンじゃなかったっけか。HERE WE GOコンかな。
その曲がわたしにとって理想すぎて、夢がかなってしまいました。
二宮担として「満たされた」瞬間です。
満たされたらもうなんだかお腹いっぱいになりました。
二宮和也を見ることはライフワークになっていたので、二宮和也から離れるのには時間がかかりましたが、
ゆっくりと着実に二宮和也から離れていきました。
ジャニヲタにとって「満たされる」ことは一つのゴールであり、夢から覚める瞬間なんだと、二宮和也は教えてくれました。

今では嵐を見てもなんとも思いません(大好きです)
嵐の中で誰が好き?と言われても決められないぐらいみんな好きです。
逆に言うとそこまで二宮和也が埋没したということでしょう。

でも歌う嵐さんを見ると目が無意識に二宮和也を追ってて、そこの癖が抜けないのはちょっと面白いです。

そんな私が二宮和也の次に降りたのが小山慶一郎です。
ここから先は「担当」という言葉を使うにはとてもおこがましいような黒歴史に塗れたジャニヲタ人生を歩みます。
当時私は中学3年生。消したい過去ですが、当時私はオリキをしていました。
だから、オリキとして動いていた人を担当と呼んでいました。
本当に好きだと思っていた、茶の間で充分満たされていたアイドルは他にいました。
それが大倉忠義です。
対外的に「副担」という言葉を用いて彼を応援していました。

大倉くんでオリキが出来ていたら多分やっていたかな。
こはちょっとわからないけれど、とにかく当時、物理的に私は大倉くんのオリキは出来ませんでした。
先輩や友達に誘われるがままオリキを始めて動いていました。
自分の意志はあまりなかったような気がします。
でも私にはオリキは向いていませんでした。

色々あってジャニヲタをやめた私をまたジャニーズに引き戻したのは二宮和也でした。
ハウズコンDVDを友達の家で見たのがきっかけです。
2年くらい離れていて、私は高2になっていました。
その間も茶の間としてまったり大倉くんを追っていましたが、しっかりとこの人が私の「担当」なんだぁと思ったのは、
2005-2006のカウコンのうちわを見てでした。
今更ビジュアルで降りるのかよ!という感じですが、オリキもしておらず、漸く私は一番好きで応援したい人を「担当」に出来る環境にいました。
ここの紆余曲折はもう記憶もあいまいで、今思うと「なにいってんのお前?」ということが多いのですが、
当時は強迫観念がひどかったんです。

とにかく、私は大倉担になりました。
2006年の1月のことでした。



当時の私はとにかくよく彼に怒っていました。
今まで好きだった二宮さんは、簡単に言えば「手のかからない」人です。
それに比べると大倉くんは自由で、奔放で、やる気がなく見えて。
「もっとこう出来るでしょう!」と叫びたくなるような人でした。
わたしの目には、バラエティーなどで本気を出しているように見えなかったのです。
だから毎日毎日腹が立って、やる気がないなら仕事をやめたらいいのに!と思っていました。

その頃、彼が初めてソロ曲を歌いました。
タイトルは「Butterfly I Loved」。
すばると二人でのコンサート。急遽決まったそれの意図もわからず、とりあえず自担に会えるなら、と大学受験の最中に見に行きました。
散々焦らされ、スポットライトを一人で浴びて真ん中で踊る彼を見て、とんでもなく胸が高鳴ったことを覚えています。
簡単に「泣いた」という言葉を用いるのは嫌いなのですが、私は正しくあの瞬間落涙していました。
大倉くんの不遇の時代を、私は茶の間ながら見ていました。
彼が秘めているものに対してずっともどかしく思っていた感情が、正しい形で解かれたのです。
アイドル大倉忠義の行先を提示されたような気がしました。

あのコンサートが私の中の一区切りになりました。
大倉忠義が掴もうとしているアイドルとはどんなものだろう?
それに興味が湧いたのです。

その疑問に対する大倉くんからのアンサーは、2008年のソロコンで提示されました。
47ツアーやドラマ、2ndフルアルバムを引っさげたMステではセンターを任される。
段々と風向きが大倉くんにきている。そういう自信を、勝手ながら私も持ち始めたころにはじまったソロコン。

ソロコンの一曲目は「Butterfly I Loved」でした。
2006年から色んな機会で披露されていたこの曲を、大倉くんは一曲目にもってきました。
あのサーカスのテントのような会場で、ヲタの期待の眼差しを浴びながら、大倉くんは「舞い降りて」きました。
上で二宮和也のHigh&Lowを見て「満たされた」ように、私はあの瞬間大倉くんに「満たされ」ました。
何をするにしても歯がゆくて、かっこいいのにどこか惜しくて、どうしてそうなっちゃうの!と叫びたくなるような彼だったのに、
大倉くんはそんな私をあの一曲で全て弾き飛ばして、安心させてくれたのです。
舞い降りて歌う大倉くんを見ながら、「ああ、この人はもう、支えなくて平気なんだ」と思いました。
担当というものが、「この人は私が支える人よ!」という気概なら、まさしくあの瞬間、私は担当を降りたのです。

当時、コンサート終わりの感想でこんなことを書いていました。

変なプライドとかやりたいことがないからなんでもすんなり受け止めてやろうとするし、
ドラム叩いてるのが好きなヲタにも、
歌が聴きたいヲタにも、
ダンスが見たいヲタにも、
等分に叶えて見せてくれるんだよね。
こう言ったら可愛いとか、喜ぶってわかってるから計算してやってるんだろうなーって思って萌えた←
大倉って顔だけかっこいいし悪い態度も腹黒そうなとこも私の萌えツボってだけだったのに、今回のコンで若干尊敬&安心した。
ここまでプロデュース能力があるなら大丈夫だよ。
グッズだって細部までちゃんと凝ってるし、
自分の魅せ方がわかってるから、
あとはエイトでそれを出せれば良いねっていう。

読み返すのも恥ずかしいくらいの上目線なのですが(笑)
そんなことを思っていたようです。
満たされたら担降りが私のモットーだったのに、大倉くんへは、「満たされた」その先を求めました。
ネクストステージに足を踏み入れたのです。
私の中で大倉くんの存在は「支える人」から「与えてくれる人」に変わりました。
海のようにふかいふかい愛で大倉くんが与えてくれる幸せを食べて生きていけるようになり、
それに比例するように他ジャニにまったく興味が無くなりました。

担当という言葉の意味はジャニヲタの数だけアンサーがあると思いますが、
私は母から信者にジョブチェンジしました。
私の中で大倉くんは息子から教祖となったのです。
年を追うごとにかっこよく、美しく、頼もしく成長していく大倉くんに、「大好き!」と思いながらついていけることが幸せだと思いました。


私は基本的にすごくすごく同担が大好きです。
好きな人が同じ人が大好きです。
今まではずっとそれでよかったのですが、私が大倉くんの信者化してから、少しそれは変わってきました。
所謂貶し愛の人が苦手になったのです。
どんな形であれ大倉くんを愛してるなら、と思っていたものが、「大倉くんを馬鹿にするようなことは許さん!」という、
非常に心の狭いヲタになってしまいました。
そこの葛藤はまた別エントリで書こうと思いますが(笑)
このダイアリを書く上で、私は基本的に大倉くんを貶しません。
プロ意識でどうかと思うことは言います。
しかしそれは「貶し」ているわけではなく「言及」しているだけです。
馬鹿にしているかしていないか。そこが大事だと思っています。
失言が多いところも、朗らかが過ぎてちょっといろんなことを軽く見がちなところも、
全て含めて大倉くんであり、私の好きな人です。
失言は「おいなにいってんだよ」と怒りますし、太ったら「もうちょい節制してね」と言います。
でもそれは貶しではありません。意見です。
こんなインターネットの片隅でぶーすか言っても本人に伝わらないですが、それはそれでいいです。

以上が私の基本的なスタンスです。
大倉くんに対しては「信者」という言葉がしっくりきます。
すごく気持ち悪いのは自覚済みですが、
「大好きなの!」と叫べる相手がいるということは幸せです。
大倉くんから与えられる愛が私の活力なので、しばらくはこのエンジンでどこまでも突っ走ろうと思います。